コロナストレスの手ごわさ

あけましておめでとうございます。

年明け早々、緊急事態宣言が再発令されそうだ。

コロナは致死率などの「病気としての強度」はそれほど強くないが、ストレスという観点から、とても手ごわい相手だ。

コロナのストレスの怖さはいくつもあるが、今の段階になると「気づきにくいストレス」という点に注目しなければならない。

人は、徐々に進むストレス、みんなで受けるストレス、疲労のストレスには、あまり敏感に反応しない。つまり気づきにくい。低温やけどのように、かなり悪化してからしか自覚できない。

  • みんなで受けるストレス:人災にくらべ天災はしかたがないと感じる。世界中の人がマスクをつけている。まして、欧米などのひどいところと比較をすると「まだまし」と感じやすい。今も、病気そのものより、政府の対応のほうにストレスが向く。
  • 徐々に進むストレス:温暖化、老化、成人病、タバコ、アルコールなどと同じで、「悪い」と理性で分かっていても、行動に移すほどの危機感を感じにくい。今回のコロナも、昨年3月ごろは不安を自覚できた。ところが今は、慣れてしまい不安はあまり感じない。しかし、無意識の緊張は続いている。重要なのはそれが長引いているということ、疲労のストレスが大きくなっている。しかし、疲労のストレスは感じにくい。
  • 疲労のストレス:本当は、病気への対応、緊張・恐怖だけでなく、環境の変化、人間関係の変化などにより、私たちは、大変消耗している。しかもそれが1年間続き、まだ収束のメドも立たない。ところが、疲労は周囲の雰囲気、気合、我慢などで、ある程度の期間は、感じないようにできてしまう。

このような「気づきにくいストレス」がだんだんたまってくると、まず、イライラになって現れる。次には気力がなくなり、ミスが多くなり、うつっぽくなる。そして体調も人間関係も悪化していく。

昨年春に、私はこの忍び寄るストレスによって「夏ごろからうつが増える」と予測していたが、だいたいその通りになった。

さて、次は今後の見積もりだ。コロナを「惨事」の視点から見ると、昨年の2月の時はまさに「惨事反応」。世の中にはパニック、茫然自失、感情の麻痺が生じ、強い不安と自責、無力感が広まった。一方で災害の時のように、被害者が団結してそれに立ち向かおうとするムード(ハネムーン期と呼ばれる)もあった。一回目の緊急事態宣言は、そんな状況の中、国民の協力が得られた。

さて今後はどうか。

災害のハネムーン期の後には、「幻滅期」というのがやってくる。同じ避難所にいても、ほかの人との不公平感に敏感になり、孤独を感じる時期。コロナ対応も「絆で乗り越える」というより、それぞれの人が、自分の身を守ることを真剣に考え始める時期だ。他者との関係、特に不公平感にとても敏感になり、被害妄想的に感じることが多くなる。対人関係の不満やイライラが大きくなるだろう。

気づきにくいストレスがいよいよ顕在化し始めるが、おそらくそれは、コロナへの不安というより、人間関係のトラブルとして具体化することが多くなるだろう。